2010年4月2日金曜日

2010-04-01

  1. 好き嫌いではないですね。産業音楽を否定する気もない。消費されるだけの音楽と捉えてもいないし。 あくまで議論のうえでの確認です。 RT@akihiko_jp:@com4jai 「生活があるので場合によっては聴衆にウケる曲を作る」っていう考え方はお嫌いですか?
  2. 誤解しないように付け加えるとある作品が結果的に聴衆に受け入れらる事のためにする事と、経済的に自立出来るように環境をつくる事は基本ちがうと思う。(特に「結果的」というところに留意)後者は教育とか文化とか習慣とかの話では? @akihiko_jp
  3. 誰も唯我独尊になれと言ってる訳ではなく、切り離して語ることではないかということ。意図的には「生活があるので場合によっては聴衆にウケる曲を作る」て読めちゃうのよ。そうではないと確信したいけど。RT@akihiko_jp 表現だけでなく、音楽という芸術を発展させることも考えなければ
  4. そこが立ち位置が混ざってる。表現者として自分の意図したものを伝えようとすることとは対局にある訳だから。 よもや聴衆のために作曲してるとは言わないでしょ?言いたいことは分かる気がするのだけど、自覚せねば自分を。RT@akihiko_jp: 聴衆の快楽はまた別の話なところが複雑で。
  5. 理想というより悪くいうけど妄想。 作曲家は誰(何)のために音楽つくるのでしょうか?演奏家は誰(何)のために演奏するのでしょうか?そういうシンプルな考えではダメ? RT@akihiko_jp: 確かに対人間に完全な形でイメージを伝達するなんてものは単なる理想
  6. ずっと追ってましたが、音楽研究者と音楽家の立ち位置が混ざってるのでは?そこが理論の矛盾をよんでいるのでは。少なくとも音楽家は音楽の使い方など関係ないのでは?それはちがう職業では? RT@akihiko_jp: 音楽を扱う人間は使い方を研究したほうがいいと僕は思います@akof

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